山本五十六|世界の名言集~素晴らしき人が残した名言
山本五十六
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。 生涯 明治 1884年(明治17年)4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町(現在の長岡市坂之上町3丁目付近)で、旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれる。当時の父親の年齢から「五十六」と名付けられた。。母親も45歳と高齢だった。子供の頃から負けず嫌いで、小学生時代「何でも食べるが鉛筆は無理だろう」とからかわれると、その場で鉛筆を食べだした。息子の山本義正によれば、少年時代の山本は米国宣教師の元で聖書の勉強をしたことがあるという。 長岡空襲は、山本の故郷という理由で行われた。TVで米国マスコミ取材に当時の軍関係者が、山本五十六の故郷だから国民の戦意喪失のために空襲をしたと語っている。
山本五十六の名言
女はその男を動かす。
言って聞かせて
やらせてみて
ほめてやらねば
人は動かじ
話し合い
耳を傾け
承認し
任せてやらねば
人は育たず
やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえて行くのが男の修行である
今どきの若い者などということを絶対に言うな
なぜなら
われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ
今どきの若者は全くしょうがない
年長者に対して礼儀を知らぬ
道で会っても挨拶もしない
いったい日本はどうなるのだ
などと言われたものだ
その若者が
こうして年を取ったまでだ
だから
実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか
とその可能性を発見してやってくれ