早川徳次|世界の名言集~素晴らしき人が残した名言
早川徳次の名言

外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており
報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた
わが国でも愛宕山に放送局(NHK)が開設される運びで
一部の電気器具店や輸入商ではラジオ機械の研究に手を付け始めていた
アメリカ製のラジオは貴重なものだった
事業は常に新しいアイデアで他より一歩先にと新分野を開拓していかなければ
とうてい成功は望めない
私はたまたま買い入れたこの鉱石ラジオセットに異様なまでに関心を寄せた

人情にも厚い人であった
私は社会の第一歩で
こうした人に会ったことは実に幸せなことで
何ものにも代えがたい収穫だった
逆境にあった私が
万一ここでも冷たい仕打ちをされていたら
果たしてどうであったろう
私は終生この主人から受けた情義を忘れることはできない



私は学校に通っていなかったため漢字が読めないので字を覚えるためによく書物を開いて見ていた
一晩一字ずつ覚えることに決めて鉛筆で書いてもみた
いつしか
これが評判になって本を読む夜店小僧と言われるようになった

職人は長年の間に自然と仕事のコツをのみこむので
ヤスリひとつ使うにもその腰と手が上手く調和していないと
ぴったりと平らなものに削ることはできないものだ
こんなことは口で言ってもなかなか会得のいかぬもので
みんなが長い年月熟練の結果
それぞれ自得するよりほかはなかった

自分は会社を存続させられない
社長を辞し
会社は解散する
社員を憂き目にあわせてまで
自分はもう
ものを言えない
残った人間で会社を続けてよいが
自分はタッチしない

おそらく私はシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し
いまのように
電気器具メーカーとして大阪に住むこともなかったと思われる
運命というものは全く予想を許さない

それまでいい気になって強がっていた鼻っ柱がいっぺんにどこかへ吹っ飛んでいった感じがした
見渡す限りあたりは廃墟である
文明は一瞬のうちに没落したように見えていた
自分の事業復興の目鼻も到底早急には立ちそうもなかった

準備は万事OK
すかさず本格的な鉱石ラジオセット製作に着手
やがて市販に移した
機敏も商売のコツである
おそろしく売れ
つくってもつくっても需要に追い付かなかった

「信用」
「資本」
「奉仕」
「人材」
「取引先」
以上5つの蓄積である
私たちは5つの貯蓄の精神を基盤にしてその実践を身近い現実のものに見て
今日から明日へと自分たちの周りをさらに充実していきたいものである

事業の公共性という点から私は事業達成の目標は
より良く
より高い社会への奉仕と感謝の実行であると信じたいのである

やってきた
しかし
よく考えてみると決してこれは偶然ではなく
偶然をつくりあげるような下地のある我々のところに偶然やってくるべくしてきたともいえる
この長い月日の技術の蓄積が
やがて他社を抜いていち早く国産テレビの完成となり
そのその量産に向かってスタートできたのである

5年の苦しさは私の骨身に徹した
こんなことは2度と繰り返したくない
普段からあらゆる場合に対処できるよう
石橋を叩いて渡る経営に踏み切ろうと固く誓った
【覚書き|戦後まもなくの頃
営業不振で銀行取引停止寸前まで経験した時を振り返った時の言葉
なんとか乗り切るも経営危機はつらい経験だったため
以後シャープは健全経営ひとすじで会社を切り盛りする体制が形作られた】

日常会社勤めのほか全国を東奔西走の形で席の温まる暇もない状態である
しかしこれが結局自分の性に合っているとみえて
健康にも恵まれた快適な日々を送っている

それは不景気のときに屈することなく
次に来る好機に伸びていく準備をすることだと思う
景気の波に乗ることは誰しも可能である
しかしそのときにすでに危険をはらんでいることも忘れてはならない

にわかに産業経済界が活発となり輸出の急増
内需の活況が目立ってきた
社の滞貨も一掃され
この下半期には久々の黒字決算を行った
三期にわたる難行にもようやく明るい陽射しが見えてきた
我が新製品シャープスーパー受信機がさっそうと市場に登場した
だが
この期には前の経営の空隙を埋めることにとどめ
設備の新設拡張にまでは手を出さなかった

すぐ作業だった
1日の経費を朝食までに稼ぐという計画を立てて
休みの時間というと食事の間だけ
夜業をやって10時にしまう
なおそれで済むのではなく
雑用と外交はそれからの仕事になっているという寸法である
私の創業時代のこれが風景だった

それには当然
合理的で緻密な計数管理が要求されてくる
工場
支店営業所の末端に至るまで周到
克明な数字の裏付けを必要とする
我々は経済情勢の掌握と
それに対する柔軟な適応性を兼ねもってこの計数管理の徹底を約した
日々の営業部門の実績報告は無論のこと
品質会議
部長会議
さらには週初の重役会議と
すべてが実際の係数による資料を基本にしての狂いのない経営の樹立であった

時代も違っていた
私は自分が過去にやってきたことをいまの人たちに強制しようという気持ちはさらさらない
ただ苦労に明け暮れたころがいまとなってみると限りなく楽しい思い出となっているのである




一度は東京の事業につまずきもした
また
血涙のにじむような経営苦にあえいだことも一再ならずあった
そして自身は生死の巷(ちまた)をさまよい
肉親の何人かを不慮の厄災に失っている
しかし
現在の私が
広く社会と諸々の人たちから数え切れぬほどの恩恵を受けて事業一筋に生きていける幸福を思うと
ひとしお感謝の念が湧いてくるのである

愛社精神や団結心などもなおざりにはしなかった
常に社内上下のつながりを緊密にし
かねがね自分の提唱している人材の蓄積という言葉をモットーに
温かい結びつきを片時も忘れなかった
これは外部に対する人間尊敬の心
信義に踏みたがえない気持ちにも合致するものと考えている


国産テレビの本格的試作に成功したことも
またテレビ本放送が開始されると同時に量産体制に入れたことも
決してそれと調子を合わせて一朝一夕にポンとできたものではない
いずれもそれまでの長年の研究がものをいったのであった

他人様に迷惑をかけないことを主義としている
また世間と多くの人たちから有形無形の恩恵を受けて生活していることに対する大きな感謝と同時にそのお返しを念願としている


戦場でも退却は非常に難しいこととされ
一軍の存亡が多くこれにかかったことはよく歴史に示されている
私のところも会社の規模が戦中に膨れ上がっており
その収縮の仕事はなかなか思うようにいかなかった

「入るを量って出を制す」
とは言い古された言葉だが
まさに企業の基本として動かない戒めである
もし規制された予算通り実行できる企業があれば
その企業は必ず安定堅実である